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美しい日本語塾|花鳥風月と喜怒哀楽を表す後世まで残したい言葉の話

日本語は自然とのつながりが深い言語です。自然現象を人の心情に重ねたり、人の佇まいを花に例えたりしながら、多くの美しい日本語が生まれ、今日まで受け継がれてきました。印象的な風景や、人の心情、様子を表す際に、昔から伝わる風流な言葉を知ると、新たな日本語の魅力を発見できるでしょう。
この記事では、日本特有の趣深い風景から着想を得た、花鳥風月と喜怒哀楽を表す言葉をご紹介します。

自然と人の心のつながりを示す日本語

自然と人の心のつながりを示す日本語日本語の中には、自然からインスピレーションを得て作られた美しい言葉が数多く存在します。それだけ、四季折々の豊かな自然が人々の生活と密接につながっていたと言えるでしょう。

古くから伝わる美しい日本語を読むと、日本人の想像力の豊かさがよくわかります。昔の人は自然の中に人間の感情を見たり、感情を自然の現象に例えたりしていました。例えば、言葉を花になぞらえた「詞華(しか)」は、表現が巧みな美しい文章や、詩を表す言葉です。また、「秋波(しゅうは)」とは、女性の目を表します。女性が男性に色目を使うことを「秋波を送る」と言われていました。秋の海の澄んだ波を、女性の涼しげな目に例えたことが由来です。

「月見豆(つきみまめ)」は、枝豆を指しています。お月見をする旧暦の八月十五日に枝豆をお供えする習慣があったことから、こう呼ばれるようになりました。

それでは、実際に自然と人の心のつながりを表した言葉を見てみましょう。

趣ある情景、花鳥風月を表す美しい日本語

趣ある情景、花鳥風月を表す美しい日本語日本には四季があり、生き物や植物が年中移ろいを見せ、趣ある風景を見せてくれます。ここでは、花鳥風月を表す美しい日本語をご紹介します。

歌詠み鳥(うたよみどり)

ウグイスの別称です。平安時代に編纂された『古今和歌集』に「花に鳴く鶯 (うぐひす) 、水に住む蛙 (かはづ) の声を聞けば、生きとし生けるものいづれか歌をよまざりける」とあります。「生きているものは全て歌を詠んでいる」とあるこの歌に、ウグイスの名が挙がったことから、「歌詠み鳥」と呼ばれるようになりました。

鴛鴦夫婦(おしどりふうふ)

オシドリと呼ばれるカモ科のオス「鴛(おしどり)」とメスの「鴦(おしどり)」が、いつもつがいでいる様子から、「仲の良い夫婦」を表す言葉として使われています。小林一茶も「放れ鴛(おし)一(ひと)すねすねて眠りけり」という俳句を詠んでいます。「つがいのいない鴛がすねて眠った」という意味で、晩婚だった一茶が自分を重ねたともとれる俳句です。

虞美人草(ぐびじんそう

ケシ科の花の一種、ヒナゲシの別称です。中国の春秋・戦国時代の武将である項羽が敵に包囲され、いわゆる「四面楚歌」の状況となったとき、絶望のなかで歌を詠みます。項羽の愛人、虞美人は歌に合わせて舞いながら、足手まといにならないようにと自害しました。彼女の死んだ場所に、ヒナゲシの花が咲いたと言われていることからこの名が付きました。

黄昏(たそがれ)

夕暮れを表す言葉です。夕方になり暗くなってくると人の顔が見分けにくくなり、「誰そかれ(誰だあれは)」と言ったことから、誕生した言葉とされています。江戸時代以前は「たそかれ」と言われており、以降に「たそがれ」と変化しました。

爪紅(つまくれない)

鳳仙花(ホウセンカ)の異称です。昔の中国の女性は鳳仙花の赤い汁を使って手や足の爪を染めていたと伝えられています。日本でも、平安時代からホウセンカやホオズキを使い、爪を染色していたとされ、「爪紅」と呼ばれるようになりました。

天泣(てんきゅう)

晴れているのに雨が降ってくるとき、天が泣くと表現します。雨雲が移動したり、風で雨が運ばれてきたりしたときにも使われる言葉です。同じ意味を指す言葉として「天気雨」「狐の嫁入り」などがあります。

撫子(なでしこ)

ナデシコは、春と秋に咲く淡いピンク色の花です。もともと「撫でし子」という言葉が、大切な女性や愛しい子供を指す言葉として使われていました。万葉集には、撫子を用いた歌が数多く収録されています。「大和撫子」は凛として清楚な、品のある日本女性を花に例えたものです。

二日月(ふつかづき)

昔の人は月の満ち欠けを見て日にちを理解していました。旧暦1日は新月で月が見えませんが、2日には薄く姿を現します。まだ明るい西の空に見える細い月のことを「二日月」と呼びました。見えるか見えないかくらいに細く、繊維のように見えることなどから、「繊月」とも言われます。

初恋薊(はつこいあざみ)

キク科の植物、薊の花びらのような紫色を表す言葉です。可愛らしい花を咲かせる薊ですが、茎にはたくさんのトゲがあります。「触らないで」や「素直になれない恋」という花言葉があり、初恋のように不器用な恋を連想させることから「初恋薊」と呼ばれるようになったと考えられています。

風媒花(ふうばいか)

イチョウ、ヨモギ、ブナなど、風によって受粉する花のことです。「風を媒介した花粉」という意味から、風媒花と呼ばれます。通常の花は虫などを介して受粉しますが、風媒花は風の力で受粉が促されるため、虫を呼び寄せるような華やかな花びらや香りを持たないものが一般的です。

箒星(ほうきぼし)

彗星の別称です。彗星は、塵や氷などが太陽へ近づくときに、飛行機雲や尾のような跡を残す太陽系の小天体です。彗星が太陽へ近づいたときに放出されたガスなどが太陽に反射することで見えるようになっています。見た目が箒のように見えることから、箒星と呼ばれています。

花信風(かしんふう)

花が咲いたことを知らせる風を指し、春の訪れを表すときに使われます。もともと中国には24種類の季節を表す「二十四節気」という言葉があり、小寒(しょうかん)から穀雨(こくう)までに二十四種類の風が吹くとされていました。風が変わるごとに新しい花が咲き、季節の変化を感じられたため「二十四番花信風」と呼ばれていたことが語源になっています。

遣らずの雨(やらずのあめ)

家や店にやってきたお客さんを、「帰らせたくない」と引き留めているかのように降る雨を表します。大切な人や愛する人に帰ってほしくないという想いを、降り続く雨に重ねた言葉です。

夜這い星(よばいぼし)

流れ星の別名です。昔は、「愛しい人に会いたいという強い想いが体から抜け出し、魂が流れ星となって会いに行く」という考えがありました。枕草子にも登場する表現です。

露花(ろか)

雨露に濡れた花のことを表し、「露華」とも書きます。夏目漱石の小説『吾輩は猫である』にも、「天に星辰あり。地に露華あり。」という描写があります。

海神(わだつみ)

海や海原のことを指します。「わたつみ」とも呼ばれています。もともとは、日本で昔から伝えられてきた海の神様を海神と呼んでいました。日本の歴史書である「古事記」の中にも、海神が登場しています。「わだ」が海、「み」が「神霊」を表しています。

言の葉物語1【花鳥風月】

当たり前に使っている日本語の中には、意外な背景や奥深い成り立ちを持つ言葉も少なくありません。花鳥風月にまつわる美しい日本語が生まれた物語をご紹介します。

「稲妻(いなづま)」の意味と由来

雷には、稲を実らせる、つまりはらませる力があると信じられていました。昔は妻だけでなく、男性である夫のことも「つま」と呼んでいました。雷は稲の「つま(夫)」であるとして、そこから「いなづま」と呼ばれるようになったと言われています。実際、雷の多い年は豊作になると実証されており、空気中の窒素が稲妻の雨にとけて、稲の成長を促します。

「夜の帳(よるのとばり)」の意味と由来

「帳」の語源は「戸張り」で、戸の代わりに張るものを指しています。部屋や寝室を仕切るものとして使われていました。夜になると闇が深まり、まるで帳のように自分と他者を仕切ってくれます。昔の人は、夜の闇を恐ろしいものとしてとらえるのみでなく、外界を遮断した、静かで落ち着いた空間へいざなう優しい存在としてとらえていたことがわかる表現です。

人の様子や喜怒哀楽を表す美しい日本語

秋を表す美しい日本語昔の人は、人の心情や佇まいを気候現象や植物、日常的に使うものに例えていました。喜怒哀楽を表す美しい日本語をご紹介します。

塩梅(あんばい)

物事の様子や具合などを表す言葉です。もともとは「えんばい」と読まれており、昔は塩と梅酢が調味料としてよく利用されていたことから、それらを合わせてちょうど良い味の加減を見る、という意味で使われていました。

笑壺(えつぼ)

大いに笑ったり、喜んだりすることを指し、「笑壺に入る」などと使われます。その場にいる人が笑い転げることを「笑壺の会」と呼び、軍記物語の一つ『源平盛衰記』には、「其の座にありける大名小名、興に入りて、笑壺の会なりけり」という文章が登場します。

羨み顔(うらやみがお)

うらやましがっているように見える顔を指します。もともと、人間の心は外からは見えないため「うら」という言葉が使われていました。「うらやむ」は、「心が病む」が語源になっています。

億劫(おっくう)

気持ちが乗らず、面倒に感じる様子を言います。もともとは仏教用語で、途方もなく長い時間を表す言葉です。天女が羽衣で岩山を撫でることにより、岩山が消えるまでの時間のことを「一劫」と呼んでいました。その1億倍の時間を示すのが億劫です。

面映い(おもはゆい)

相手と顔を合わせることが照れ臭い、きまりが悪いという意味を表しています。「面」が「まばゆい」という意味が語源で、相手のことが眩しく感じるときに使われるようになりました。褒められて恥ずかしいときや、気まずい相手と会うときにも用いられる表現です。

几帳面(きちょうめん)

もともとは、女性の目隠しとして必要とされていた「几帳(きちょう)」の柱の両側につけた面取りのことを、几帳面と呼んでいました。細やかで繊細な作りになっていることから、江戸時代以降は、細かいところまで行き届いた性格を表す言葉として使われるようになりました。

健気(けなげ)

力の弱い人が困難に立ち向かう姿を現します。古語に「けなりげ」と呼ばれる言葉がありました。「異なり気(けなりげ)」「殊なり気(けなりげ)」とも書き、「普通ではない」「ほかよりも優れている」「しっかりしている」などの意味で使われていたことが由来です。

恋衣(こいごろも)

強い恋心を表す言葉です。常に相手を想っていることから、その気持ちを身に着ける「衣」に例えて使われるようになりました。万葉集にも読まれる言葉で、与謝野晶子が書いた詩歌集の題名にも使われています。

心化粧(こころげしょう)

人に好感を与えるために、心構えをすることを指します。素の状態ではなく、良い印象を持ってもらうために気持ちを整えることを化粧に例えています。『源氏物語』にも、「正身は何のこころげさうもなくておはす(本人は心化粧をせずいらっしゃる)」という一節があります。

心延え(こころばえ)

人の心の現れや思いやり、趣という意味を表す言葉です。もともと「延え」という言葉は延ばすという意味を持ち、自分の心を延ばして外へ表すという表現が由来となっています。『竹取物語』の中にも、気立てが良く可愛らしいかぐや姫を「心延へなどあてやかにうつくしかりつること」と表す一節が出てきます。

心勝り(こころまさり)

期待以上に優れている、気丈であるという意味を表しています。逆の意味を表す言葉としては「心劣り」があり、期待外れという意味を持ちます。

時雨心地(しぐれごこち)

今にも泣きそうな状態のことを指します。時雨は、秋の終わりから冬にかけて降る雨という意味のほかに、涙ぐむ、涙を流すという意味も持っています。泣きそうな気持ちを雨の様子になぞらえた言葉です。

涙雲(なみだぐも)

天気が悪く雨が降ってきそうなときに雲が出てくることから、涙ぐんでいるときの状態を表します。泣きそうなときは、目にまるで雲が浮かんだように視界が曇ることから生まれた表現です。

蓮っ葉(はすっぱ)

品がなく軽々しい女性の言動や態度を表し、「蓮っ葉な女性」と呼びます。もともとはお盆のお供え物を乗せる蓮の葉が、短い時期しか使われない簡素なものであったことから、「軽薄な女性」を表す意味で使われるようになりました。

破天荒(はてんこう)

今まで誰も成しえなかったことを初めて行うという意味があります。昔の中国で、高等官になるための試験に誰も合格できていなかったことから、その試験を未開の地になぞらえて「天荒」と呼んでいました。劉蛻(りゅうせい)という人物が初めて合格したことから、天荒を破ったという意味で「破天荒」と呼んだことが由来と言われています。 そのため、破天荒はよく「豪快」や「ハチャメチャ」といった意味合いで使われがちですが、誤用です。

・一入(ひとしお)
いっそう、ひときわ、という意味を表します。「入(しお)」は、染物をするとき、布を染め汁に浸す回数を表す言葉として使われていました。一入ごとに布の色がだんだん濃くなっていくことから、やがて「気持ちが増していく」という意味で使われるようになりました。

言の葉物語2【人の様子と喜怒哀楽】

人間の様子や感情を表す日本語にも、長い歴史があります。現代に続く言葉が生まれた背景をご説明します。

「丁寧(ていねい)」の意味と由来

「丁寧」は人の性質や様子を表すときに使われますが、由来は中国の楽器です。昔、中国では「丁寧」という銅製の打楽器があり、軍隊などで注意を促すときに使われていました。鳴らした音がなかなか全員に伝わらなかったため、念入りに鳴らされたといいます。そのため、細かいところまで念入りに行うことを「丁寧」という言葉で表すようになりました。

「逆鱗(げきりん)」の意味と由来

逆鱗の鱗は、竜の鱗です。竜の顎の下には、一枚だけ逆に生えた鱗がありました。普段はおとなしい竜ですが、この鱗にひとたび触れられると怒り狂うと言われていました。竜は天子や帝の象徴で、「逆鱗に触れる」という言葉は王を激しく怒らせるという意味で使われていました。やがて、目上の人を怒らせることを指すようになり、現在では誰に対しても使われる表現に変化しています。

美しい日本語を意識して使い、表現の幅を広げよう

美しい日本語を意識して使い、表現の幅を広げよう昔から残る美しい日本語には、自然の豊かさや人間のさまざまな感情を粋に表した言葉が数多く存在します。言葉を紡ぐときは、少し立ち止まって古くから伝わる言葉を調べてみたり、実際に使ったりすると、日本語の奥深さを感じることができるでしょう。
手紙やメール、電報、普段の会話などで、美しい日本語の言葉を取り入れて楽しんでみてはいかがでしょうか。